はじめに
マネージャーにとって目標は組織の成果を大きくするための強力なツールです。しかしジュニアなマネージャーにとって、目標設定をどのように行うかは、なかなかまとまった知見を得づらく不安を感じやすいようです。本エントリでは私がエンジニアリングマネージャーとして目標設定で考えていることをまとめてみます。
まず前提として、私は自社でWebサービスを開発している事業会社のエンジニアリングマネージャーで、ソフトウェアエンジニアの目標管理を行なっています。組織全体の制度としてはMBOに近く、組織の目標があり、そこに向けて各メンバーも個人目標を設定し、その達成度合いによって評価します。一回のイテレーションの長さは半年で、(その是非は様々あるとして)評価は給与査定と連動しています。状況が違えば私がこれから述べることが当てはまらないケースも多分にあるかと思うので、そこは各自でうまく受け取ってください。
マネージャーの役割は全体最適
目標設定におけるマネージャーの最大の役割は全体最適を図ることだと考えています。各メンバーの目標とその相互作用をよく調整することで、組織の目標達成能力を高め、メンバーの自律性を引き出し、そしてメンバーの成長機会をより多く作ることができます。それらを通じて組織の成果を最大化することがマネージャーの仕事です。これは各メンバーが独立に目標を設定するだけでは追求するのが大変で、メンバーひとりひとりと信頼関係を結んで情報を集め、全体を調整することに集中するマネージャーだからこそ期待される仕事であると思っています。
私は目標を大きく3つの観点から設計しています。それは、組織目標の達成、メンバーの志向、メンバーの成長、の3つです。それぞれの観点から満たすべき条件が導かれるので、それらをなるべくカバーするように目標を調整していきます。ここからは、それぞれの観点について詳しく述べ、目標設定のエッセンスをお伝えしようと思います。
観点1: 組織目標の達成
マネージャーの仕事は、組織の成果を最大化し、組織の目標を達成することです。よって目標設定において第一に考えるべきも組織の目標達成であると考えます。個人の目標を集めたときに、組織の目標達成に必要な仕事が完遂できるようになっていなければいけません。素朴な例では、組織の目標達成にプロジェクトAとプロジェクトBの完遂が必要であれば、Aにコミットする人、Bにコミットする人が分かれるように気を配る必要があるかもしれません。こうした気配りをするには、そもそも会社や事業が何を達成したいのかを解像度高く知る必要があります。プロジェクトA、Bの存在、その規模や期限を知らなければ、全体最適など図れるはずもありません。まずは自分が上位の計画を十分にインプットできているかを確認し、そうでなければ自分をもっと巻き込むよう上司に働きかけましょう。
そして厄介なことに、現代のソフトウェア開発における仕事を完遂する能力は非常に複雑です。要はチームとしてプロダクションレベルのソフトウェアを素早くデリバリーする必要があるわけですが、そのために考えるべき項目の数は10や20は下らないでしょう。特定技術の習熟度、設計のスキル、プロジェクト管理、プロセス改善のスキルなどなど、挙げればいくらでも出てきます。各メンバーが何をどこまでやれるかを把握し、チームとしての能力を担保していくことになります。上に述べたプロジェクトA、Bの例でも、各プロジェクトで技術的な妥当性を担保できる人はいるか、プロジェクト管理ができる人はいるか、チームの心理的安全性や信頼関係に気を配れる人がいるか、育成する人とされる人のバランスは適切か、足りないならば誰かに両方のプロジェクトを見てもらうか、全員でA、B順番に取り組んだ方が良いのでは?、しかしそれは事業上は許容されるだろうか……こういったことを考え抜いて組織の成果を大きくしていくのです。
こうした視点については同僚の id:onk による体制を考えるときに意識していること - id:onk のはてなブログをよく参照しています。組織の目標達成に必要な組織能力と、各メンバーのスキルに基づいてどのような発揮を期待するとそれを担保できるのかを考えるヒントになるだろうと思います。
観点2: メンバーの志向
観点1は組織目標から導かれるいわゆる組織の論理です。組織の論理で導かれる個人目標を押し付けるだけでは、組織能力がマネージャーの能力で頭打ちされてしまいますし、メンバーの内発的動機を生かすこともできません。メンバーの「こうすると良いのでは」「こういう仕事がしたい」という志向を聞き出し、期待に反映していくことで、自律的に組織目標に向かってもらうことも重要です。メンバーの志向も含めて全体を設計するには、日頃からそうしたコミュニケーションを行って情報収集をしたり、スキルビルドやキャリアのストーリーを作っておく必要があります。
情報収集については、こういう仕事をやりたいとか、何が苦手だとか、チームはここが微妙だとか、傾聴を土台にしてメンバーの考えを日々聞くことの積み重ねに尽きます。単に状況を聞くのではなく、そのときに感じたことを聞いたり、内省を促したり、豊かな情報を引き出せる問いを手札に持っておくと良いでしょう。自分の期待を伝えることで初めて、チームの状況認識を間違えているとわかったり、気分が乗らない仕事がわかったりすることがあり、マネージャーからラフに期待のアイディアを当ててみるのもオススメです。私はよく「チーム/XXさんの状況を〜〜と認識しているのだけど、まずこれは合ってますか」「その上でこういう仕事をお願いすると良さそうと考えたのだけど、XXさんはどう思いますか?」といった形で話を聞いてもらっています。
スキルビルドやキャリアも日々の積み重ねが重要です。目標設定の時期に突然「何がしたい?」と聞かれても、多くの人が困ってしまうだろうと思うのです。やはりここも日々のコミュニケーションが大事で、日常的にメンバーのスキルビルドやキャリアを話題にしていると自ずとストーリーが見えてきます。たとえば最終的にはEMを目指したい、そのために今はこういう経験を積んでいて、次はこんな経験ができると良さそう……といった具合です。そうした認識を揃えておくと、どんな仕事がWin-Winになるか互いに腹落ちしやすく、前向きに取り組める目標をスムーズに設定できることが多いと感じます。
最後に、メンバーの志向を取り込む上で最も重要な点は、上述のような日々のコミュニケーションで最大限考慮をしつつも、マネージャーが組織に必要だと思うことを妥協してはならないということです。そこを譲って組織が目標を達成できなくなるとしたら、マネージャーがいる意味はありません。必要ならば毅然とした態度で期待を呑んでもらい、期待に応えた場合にしっかり評価すること、期限を決めて次の機会を用意することなどを約束し、良い交換関係を築くのもマネージャーの重要な振る舞いです。それすら叶わないのであればメンバーの入れ替えや補充を検討しましょう。
観点3: メンバーの成長
観点1、2だけでも、メンバーがモチベーション高く組織目標に取り組める枠組みを作れており、目標設定としては及第点と思います。しかし、そこにさらにメンバーの成長の要素を組み込めると目標の効果がさらに高まります。メンバーの成長を助け継続的に組織能力を向上させることはマネージャーの重要な仕事であり、目標はメンバーをコンフォートゾーンの外に連れ出す枠組みとしても有用です。
私がよく提案するパターンは、いわゆる「ふつう」「5段階のうちの3」の評価基準をその人の等級に相当する難易度に設定して、加点要素として上位の等級に相当する成果を設定するものです。たとえばジュニアなテックリードに対しては、妥当な技術的判断でプロジェクトを完遂させるといったことをベースラインとし、事業インパクトのある非機能開発の提案・実行や、中長期の技術ロードマップの策定を加点要素とするといった具合です。こうしたアレンジを行うには等級とロールの掛け合わせで様々なペルソナを知識として持っておくことが重要です。そうした知識は形式知になっているのが望ましいですが、上位のマネージャーの暗黙知にとどまっているケースも少なくありません。目標の案をレビューしてもらうなど、対話の機会を作ることで理解を深めましょう。
また、成長を意識した目標を設定する場合は特に、その人の道を開け適切な支援を得られるように全体調整に気を配ります。たとえばCさんがスクラムマスターに挑戦するのに、チームのシニアなエンジニアDさんもスクラムマスター相当の目標を持ってしまっては、十分な挑戦の機会が生まれないかもしれません。このような場合では、Cさんが挑戦していくことをチームに周知して協力を求めたり、Dさんの目標に「Cさんの指導を通じた成功」を加えたりして、チームのコラボレーションに方向付けを行います。チームに構造と明確さをもたらすこともマネージャーの重要な仕事です。
実践に向けて
最後に、ここまで現れなかったものの実践において重要であろう話題を補足します。
チームの戦略を言語化する
ここまで述べた3つの観点をもとに全体を調整していくのは非常に複雑な作業です。あの要素も、この要素もと考えていくと、いつまでたってもまとまりません。私はこの複雑さへの対処として、チームとしての戦略を言語化することにしています。具体的には、チームとして何を達成すべきで何が障害になるかという状況分析、そしてそのために、どういうフォーメーションが望ましいのか、何を重点的に行なって、何をやらないのかといった方針です。要は各メンバーの目標の前提となる制約をしっかりと作り込むということです。マネージャーとして、どこにどうリソースを投下して成果を得るつもりであるかという思考の軸を言語化しておくことは、目標設定という仕事の強力な補助になると思っています。戦略プランニングについては書籍「良い戦略、悪い戦略」をオススメしています。
重要な心構えとして、そうした戦略を一発で作り切ろうとしないということです。どこかでチームの状況やメンバーの志向を取り違えてハレーションを起こすことになります。まずは各メンバーとラフに話して情報収集を行い輪郭を浮かび上がらせていき、叩き台として作った案を見てもらって、思いついたアクションや改善ポイントを取り込んでさらに磨いて……というフィードバックループを回してまとめるのが良いだろうと思います。その過程自体がメンバーの腹落ちを深めていくでしょうし、チームの現実に基づく良いレバレッジが見つかりやすくなります。多少時間はかかりますがバリューの大きい作業だと思っています。
マネージャーがどこまで考えるか
ここまで述べた内容だと、観点2でメンバーの志向を取り込んで自律性を意識しているものの、マネージャーが考えすぎている、メンバーを子供扱いしているのでは、という印象もあるかもしれません。私としても、必ずしも「マネージャーが」それらの観点を取り込んだ目標設定を行う必要はなく、全体最適が図られていればどんな過程でも良いと思っています。たとえばマネージャーの視点を内面化したシニアなプレイヤーがいるチームでは、メンバー同士が話し合うことで多くの観点を網羅し、また目標の相互作用も調整することができるかもしれません。組織の状況や自身のキャリアプランがよく見えていて、現状を追認するだけでケチのつけようがない目標になるメンバーもいたりします。そのようなケースでは、マネージャーは場の用意や、各メンバーとの評価基準の合意など、より少ない仕事で十分と言えるでしょう。マネージャーは組織の成果を最大化することに対する説明責任を負って、その実行の方法は柔軟に検討できるものだと考えます。
SMARTな目標
具体的な目標の内容についても言及しておきます。良い目標を立てる上ではSMART(具体性/測定可能性/達成可能性/関連性/時間制約)に沿うのが一般的だろうと思います。
まず簡単なところとして、観点1から関連性と時間制約は自然に現れるだろうと思います。組織の目標を達成するための個人目標であるので、組織の目標に関連する発揮・成果をなんらかの締切(最低限は評価時)までに実行することは前提となるでしょう。本記事で述べた観点から達成可能性も導かれるはずです。その人の今の姿にマッチした期待を設定すること、そしてその人の成長の観点から、達成可能だが難しい次のレベルの課題も設定できることが理想です。加えて、本人がコントロール可能かという観点はよく精査しておく必要があります。
具体性については様々なすりあわせの仕方があるだろうと思います。具体的な仕事や達成条件を書き下すことも考えられますし、等級やロールなど情報量の多い言葉を使うことで詳細な期待が共有できることもあります。最も注意するべきはマネージャーが自身が抽象的な目標の文言で思考が止まってしまうことです。評価の時期になってみて、そういえば何ができたら評価できるかわかってなかったな……と気づくことが意外とあるものです。そうしたミスを減らすには、自分が同じ目標を課せられた場合のアクションプランを言えるか点検してみるのがオススメです。
測定可能性が最も頭を悩ませるポイントです。何か特定の成果物や数値を目標に設定できて、それが本人に十分コントロール可能であるという状況であれば簡単なのですが、いつもそうできるとは限りません。定性的な条件をよくすり合わせたり、定性的に望ましい発揮の件数を目標にしてお茶を濁すこともあります。究極的にはマネージャーが期待する成果に適切な報酬で報いるという交換関係が成立すれば良いのではないかと思っていて、当人同士の間で評価プロセスに納得できていて、かつ組織目標が達成できているのなら、神経質になりすぎないのが現実的な落としどころではないでしょうか。一方で、ここを妥協してしまうところに自分のマネージャーとしての"格"が現れているような気もして、悩ましく思いながら取り組んでいるポイントです。
さいごに
本記事では、私がエンジニアリングマネージャーとして目標設定の時に考えていることを述べました。目標設定におけるマネージャーの最大の役割を全体最適を図ることとし、その時に考慮する3つの観点、組織の目標、メンバーの志向、メンバーの成長について詳しく述べました。加えて実践の場で役に立つであろう話題をいくつか補足しました。目標設定は、組織の成果を大きくし、またメンバーのジャンピングボードを生み出すインパクトのある仕事だと思っています。皆様の参考になれば幸いです。